講座

第4回 「世界遺産所有者が語る明日の京都」講座

演題  : 木の文化、紙の文化の伝承 醍醐寺
講師  : 総本山醍醐寺 座主 仲田 順和 猊下
開催日 : 平成24年3月10日
場 所 : 総本山醍醐寺 霊宝館
 
画像 017醍醐寺は、聖宝理源大師のご自身の祈りのベースを決めるお寺を建てたい、という願望から建てられました。聖宝理源大師のお心に沿った、祈りの気持ちに沿った、私事的な要素を示して建立されました。その小さな庵は上醍醐に建立されました。
この寺に、時の帝(後の醍醐天皇)が非常な祈りの心を運ばれました。醍醐天皇の庇護の下、寺は下へ下へと伸びていき、伽藍の形成が成されていきました。特に鎌倉時代には、多くの学僧が集まり、密教の仏像や絵画が生み出されました。そして、そのほとんどは現在もこの寺に伝承されております。
 
(明治維新の際には)廃仏毀釈や修験道廃止令により、(財源を求め、多くの寺院では文化財を海外へ流出させました)醍醐寺でも幾つかの試練がございましたが、座主は、世間の誘いには耳を傾けず、醍醐寺が管理していた末寺3,000下寺を今の奈良の長谷寺の系統、京都の智積院の関係にお渡しすることによって、2つの本山から15,000円の資金をいただき(文化財を流出することなく)困難な時代を乗り切りました。
 
そのときの座主の判断は、「寺は、その管理が同じ法流の寺へ移っても、寺(として)は残り、それぞれの里の人は、寺へお参りすることができる。そしてまた心を寄せて下さることができる。しかし伝承の文化財を海外に出したら、再びそれを目にすることも手にすることもできないであろう」という大きな英断でありました。この英断に対し、醍醐寺の多くの僧侶は、それが決まった後、座主を排斥しました。そして、その座主は現在の世代に入っておりません。
その後、農地解放でも大きな痛手を被りました。近年私たちの手に届くところで2つの大きな災いが起こりましたが、このように守られてまいりましたのは、僧侶の祈りによるものであります。木の文化、紙の文化、それは全部僧侶の手によって生まれ、僧侶の祈りによって守られ、伝えられてきたのであります。
 
多くの祈りによって守られてきた伝承物は、現在、文化財という新しい表現で呼ばれています。醍醐寺には、紙の文化の伝承、木の文化の伝承、音の文化の伝承がございます。音の文化とは声明を中心とし、また山伏のほら貝であります。
 
生かされてこそ文化財でありますので、皆さまに見ていただき、公開をし、そしてできるならば、同じ佇まいの中で物事を観照して頂きたいというのが、願いの1つであります。
 
醍醐寺には、国指定文化財が、63,000点からございます。この文化財を200万坪の境内地とともに守り、同時に後世につないでいかなければならない、という大きな使命がございます。その大きな責任の中で、皆さまと共にこれをどのようにして伝えていくかが大切であります。
 
醍醐寺は、生き生きとした命の生命体であるとご理解下さい。そして、その中にある祈りというものは、1人1人の命の平安に対する祈りであり、これを醍醐寺は、し続けてきております。

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