報告者 :
小野芳朗 氏
(京都工芸繊維大学建築造形学部門 教授)
開催日 : 平成24年1月24日
場 所 : 立命館大学 朱雀キャンパス
中世以来、京都盆地の灌漑用水の水利権を支配し、かつ京都御所の禁裏・仙洞の庭園用水、防火用水を差配したのは上賀茂神社であった。明治になり既往の水利権は宮内省に移され、管理が京都府となるが御所の水不足の構造は変わらず、明治23年の琵琶湖疏水開削により水量確保の解決がはかられる。しかしながら旱魃の年は上流各村の灌漑用水確保が優先され、庭園池水は枯れる。その抜本的解決は大正元年の御所水道開通まで待たねばならなかった。水不足にあえぐ、京都御所と近隣農村との関係を解く。