演題 : 悠久の仁和寺を護り継ぐ
講師 : 総本山仁和寺 門跡 立部 祐道 大僧正猊下
開催日 : 平成25年12月14日
場 所 : 仁和寺御室会館大広間
仁和寺の創建は、平安時代、第58代光高天皇が西山御願寺として着工されたのに始まり、仁和4年(888年)その意志を継いで、第59代宇多天皇により仁和寺を完成されました。宇多天皇は、退位後、出家して仁和寺にお住まいを設けらました。(旧御室御所御殿)
応仁の乱で、東西8km、南北4kmの範囲に存在していた仁和寺は焼け野原になりました。市民のお寺であれば市民の力で復興できるのでありましょうが、天皇のお寺であったため、それも難しく、第21世の覚深法親王が、二条城においでになった三代将軍徳川家光にお願いし、21万両(現在のお金にすると約2,100億円)を得て、金堂、五重塔、二王門、観音堂、御影堂など様々なものが建てられました。現在、国宝12、重文45、建物は唯一金堂が国宝となっております。
重文の中には五重塔があります。高さ約36mの建物で、中央に第一如来が座しており、東西南北に仏様がまつられております。中心にある柱、四方に4本の柱があり、1つの大きな塔という形で存在しています。阪神大震災時も揺れましたが、崩れることはありませんでした。柱についても、大きな石の間に小さな穴が掘ってあり、その中に柱が1本座っているという状態で、お互いが揺れながらも、風にも地震にも強いという構造は、現在の東京タワーやスカイツリーなど高層建築を可能にした柔構造の根源をなしております。五重塔の原理を学んで1つの文化を立ち上げたと言ってもよいでしょう。
日本人それぞれの心の中に、すばらしい文化・文明があります。日本列島は太平洋の片隅にありながらも、世界各地からさまざまな異文化を吸収・凝縮して、それを長い年月をかけながら作り上げた、すばらしいものだと思います。
文化財を護るというのは、消防設備、防犯設備、維持管理をきちんとすれば良い。換言すれば、囲いをして、金庫の中に入れてしまえば保護できるものではあるけれども、それだけでは何の意味もありません。文化財が、これまでも、現在も、これから先も、私たちをいかに育ててくれるであろうかという意味を求めていく、発信するものでなければならないと思うのです。