講座

第8回 「世界遺産所有者が語る明日の京都」講座

演題  : 東山文化を語る
講師  : 大本山相国寺派管長(銀閣寺住職)
開催日 : 平成26年2月25日
場 所 : 銀閣寺書院
 
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当寺は、開基である足利義政公の戒名「慈照院殿喜山道慶大禪定門(じしょういんでんきざんどうけいだいぜんじょうもん)」から一部をいただき、慈照寺(じしょうじ)と名付けられました。金閣寺と対比して、通称・銀閣寺といわれますが、壁面は銀箔(ぎんぱく)ではなく漆塗りです。
 以前、境内の東求堂(とうぐどう)を解体修理した際、同仁斎(どうじんさい)と呼ばれる一室から床の間や違い棚の痕跡が見つかったことから、ここが日本の書院造りの始まりだろうと考えられています。東求堂には義政像が安置されており、向かって左側に床の間、右側のふすまの奥に違い棚があります。銀閣と称される観音殿は、東求堂を反転させた配置になり、右に床の間、左に違い棚が見られます。
 
室町幕府8代将軍の義政は、政治よりも文化の人でした。
1482(文明14)年、戦火で焼失した浄土寺の跡地に、後の慈照寺となる東山殿の造営を始めた義政は、工事開始の翌年には、この地に移り住んだようです。
 政治を離れた義政は、文化・芸術に優れた者たちを召し抱え、特に晩年の10年、文化面で大きな力を発揮します。例えば茶の湯では、その昔、数種のお茶を飲んで銘柄を当て、優勝者に賞金を与える「闘茶」という一種のギャンブルが流行しました。これを芸術領域に引き上げようと、義政は幅広い技芸に精通する能阿弥(のうあみ)に相談、東山流茶の湯を確立させ、茶道の発展をリードしました。
 能阿弥・相阿弥が編集した『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』には、中国の画家、陶磁器、漆芸、道具類、書院のしつらいなど、さまざまな文化や芸術について分類・列記されています。この中で、茶の湯についても道具の寸法や配置などが細かく記され、お客さんの目の前でお茶をたてる作法が示されています。
 
客前で所作を行うと茶わんや道具なども注目されるため、上質なものを求めるようになります。義政は芸術家や職人の育成にも力を注ぎ、この時代の美術工芸品のレベルを格段に上げた、まさに功労者といえるでしょう。
 
 現在、京都に残る文化財のほとんどは室町時代につくられています。中でも足利3代将軍義満、8代将軍義政によって形成された文化が多く継承され、2人の持つ大きな力を感じずにはいられません。
義政は政治で力を発揮できませんでしたが、世界の歴史を見ても分かる通り、政治は時代とともに変化するものです。しかし文化は残ります。室町文化が、平成の今に生きているのは何と尊いことでしょう。これらを守っていくことは国利でもあると考えます。
 
 世界遺産の活動は文化の保護を目的としており、明日の京都・文化遺産プラットフォームも「先人たちの心を未来へつなぐ」有意義な取り組みです。皆さまも素晴らしい文化を感じていただき、次代に残すべくご協力いただければ幸いです。

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