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Vol.7 「緑のダム」って実現可能でしょうか?

更新日:2013年11月25日

東京大学大学院農学生命科学研究科の蔵治光一郎氏の言葉を借りると、日本の森林は過去に2度、大きな破壊を受けている。1回目は室町時代から江戸時代にかけての人口増加に伴う森林からの過剰な収奪によるもの、2回目は昭和30年代の拡大造林である。政府によってスギ・ヒノキの植林が推奨された結果、その面積は森林の40%にも達したが、木材輸入の自由化によって木材価格は下落し、間伐等の管理がなされない荒廃人工林が残されることになった。「緑のダム」という言葉はこの扱いづらい過去の遺物である荒廃人工林に新たな価値を与えるためのキーワードとして用いられることが多く、「森林の適正な管理によって土砂災害や洪水を防ぎ、安全で安心な社会を創りましょう」というような呼びかけがマスコミ等を通じてなされているが、これは本当に実現可能なのか考えてみよう。

蔵治氏は、「緑のダム」という言葉は本来「ブナ林」に対して限定的に用いられてきたのに、いつのまにかあらゆる森林に対して期待されるようになったと述べている。さらには、降った雨を地中に蓄えておき、ゆっくりと流し出す機能は認められるものの、洪水を軽減し渇水を緩和できるとまでは言えない、と過剰な緑のダムへの期待に釘を刺している。森林の地表付近に形成されている土壌はさほど多くの水を蓄えることはできず、河川の水量を維持しているのはさらに深い場所に蓄えられた水であって、樹種や森林管理の程度によって劇的に変化するとは考えにくい。2011年12号台風で大きな被害を受けた和歌山県においても、人工林の管理不足が被害を拡大したのではないかと疑う声があり、今後、山間部の過疎化が進行すればさらに荒廃人工林は拡大するので、今のうちに何とか手を打つべきだという意見も根強い。もちろん、山地が荒廃すれば自然災害のリスクが高まるのは事実だと思われるが、一方で、山地を保全しさえすればコンクリートのダム等がなくても災害は防げる、というのは言い過ぎであろう。

人工林は優良な木材を確保するために人間が作り出したもので、それを放置すればマイナスが生じる。それを知りながら管理コストに見合う利益が得られないので放置してきた側に責任があるのであって、コンクリート構造物によって災害を防ごうとしてきたことに非があるわけではない。「脱ダム宣言」に代表されるような科学技術から自然崇拝への転換(退却?)が声高に叫ばれるあまり、その中身に冷静な分析がなされることなく「脱コンクリート」に偏ることは危険だという他ない。厳しい自然条件にさらされる日本においては、自然が作り出す環境が人間にとってかけがえのないものであることを理解しつつも、最も効果的で機能的な人工構造物による対策を常に視野に入れなければならない。人命や文化遺産が一度なくせば取り返すことができない「かけがえのないもの」であることを考えれば、自然環境の保護・保全と災害防御を今後より高いレベルでバランスさせていく必要がある。万能ではないが価値ある「緑のダム」を最新の科学技術とうまく組み合わせることによって、それを近い将来達成できるものと信じる。

里深 好文(さとふか・よしふみ)
立命館大学理工学部教授
立命館大学防災フロンティア研究センター副センター長
 
<主な研究活動>
河川災害および土砂災害の防止・軽減に関する研究
流砂系土砂管理に関する研究
文化遺産の水防災に関する研究 など

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